大転職時代がやって来る 希望者1000万人で変わる日本

「ESGに関わる仕事ができるかも」。都内に住む浅野真奈さん(仮名、30代後半)は昨冬、約3年勤めたベンチャー企業から資産運用会社に転職した。前職に不満があったわけではない。登録していた転職仲介会社から「あなたが関心のあるESG(環境・社会・企業統治)に熱心な会社からオファーが来ている。年収も1割以上上乗せできる」との連絡を受け、転職を決めた。

転職が当たり前になりつつある。総務省によると2022年に転職を希望した人の数は968万人と過去最高を記録。10年で2割増え、23年は1000万人超えが予想される。実際に転職した人の数は303万人と新型コロナウイルス禍前の19年(353万人)に迫る。リクルートの藤井薫HR統括編集長は「転職者数は23年以降も着実に増える」と市場拡大に手応えを示す。

なぜ、いま転職が広がるのか。背景にあるのが構造化する人手不足だ。日銀の9月の全国企業短期経済観測調査(短観)では、人手が「過剰」と答えた企業の割合から「不足」と答えた企業の割合を引いた雇用人員判断DIが全産業でマイナス33となった。リーマン・ショック前の好景気にあった07年末(マイナス10)よりマイナス幅は格段に大きい。

リクルートの藤井氏は「人手不足が慢性化し、企業が過去に見ないほど中途採用に積極的」と言う。団塊世代の大量退職後に少子化も加速し、既存の仕事を回すのにも人が足りない。働き方改革の浸透で、雇用を増やす必要もある。「DX(デジタルトランスフォーメーション)を進めるため社外から人材を獲得する動きも活発だ」(藤井氏)

転職の「常識」も変わり始めている。マイナビキャリアリサーチラボの関根貴広主任研究員は「『給与が下がる』『35歳が限界』など日本人の意識に染みついた転職観が変化している」と指摘する。従来は新たな挑戦に関心があっても収入減などの現実に直面し、今の職場にとどまる選択をする人が多かった。

マイナビの22年実績調査によると、転職後「年収が上がった」人の割合は39.5%と「下がった」(18.6%)を大きく上回った。19年には上がった人は33.7%、下がった人は25.8%で、年収が上がる人の割合は増加傾向にある。20〜50代の男女全ての層で上がった人の割合が下がった人より多かった。

転職率も上昇している。40代男性の正社員転職率は5.7%と16年(2.2%)から2倍以上に増えた。20代(14.8%)や30代(11.2%)には及ばないものの「40〜50代でも転職で年収が上がり、男性を中心に『ミドルクラス』の転職が定着しつつある」(関根氏)という。

関連市場も拡大している。転職支援ではデジタル分野の専門職や高年収の「ハイクラス」層向けなどサービスの多様化・専門化が進む。企業業績の好調も目立ち、転職サイト「ビズリーチ」を運営するビジョナルは23年7月期の連結営業利益が前の期比6割増えた。パーソルホールディングスは「doda(デューダ)」など転職関連事業で25年度の調整後EBITDA(利払い・税引き・償却前利益)を430億円と22年度比2倍以上に拡大する計画を掲げる。

転職の活発化は事業者の懐を潤すだけにとどまらないとの見方もある。ピクテ・ジャパンが国別のデータを分析したところ、同一企業での勤続期間が10年未満の従業員比率が高い方が賃金上昇率も高いことがわかった。市川真一シニア・フェローは「雇用の流動性と生産性には明確な相関がある」と指摘する。労働者が終身雇用を前提とせず、どこでも働けるようスキルアップをすることが「日本全体の生産性向上や経済成長に寄与する」(市川氏)

国の政策も今後、転職を後押ししそうだ。岸田政権は成長産業への労働移動を促すため個人のリスキリング(学び直し)などに5年で1兆円規模を投じる計画。失業手当など雇用に関わる制度も見直す考えだ。

変貌する転職市場の動きとともに、個人や企業がどう転職に向き合うべきかを探った。

転職希望者が1000万人の大台に迫る。日本の就業者数6787万人(9月時点)のおよそ7人に1人にあたり、実際に転職をした人の数でみても年間に100人中4〜5人が転職していく計算になる。終身雇用を前提としてきた日本で何が起きているのか。

「転職サイトへの登録から実際に転職するまでにかかった期間は3カ月足らず。迷いはなかった」。昨年、航空会社から商社に転職した堀田巧さん(仮名)は振り返る。希望して就いた前職だが、新型コロナウイルス禍の影響で給与がコロナ前に比べ6割近く減少した。

40歳前後という自身の年齢に不安はあったものの、転職サイトにあった商社の採用募集に申し込むと、最終面接を経て1週間後には採用を通知された。給与は航空会社時代の直近の給与の2倍以上で、コロナ前に比べても1割以上多いという。

同じ会社で働き続ければ給与は上がり、転職すれば下がる――。日本の転職市場では長らく「転職後は給与が下がる」との考え方が「常識」として根付いてきた。それが「人手不足を背景に過去のものになりつつある」とリクルートの藤井薫HR統括編集長は指摘する。

実際、若年層から40代のミドル層を中心に転職後、給与が上がる傾向が見て取れる。厚生労働省の雇用動向調査(2022年版)で転職入職者の賃金変動状況をみると、増加した人の割合は減った人の割合よりも1ポイント多かった。コロナ前の19年はマイナス1.7。年齢別では35〜39歳が21.6、25〜29歳が18.9と若年層を中心に転職後賃金が上がる傾向が強い。40代以降でも40〜44歳は5.7、45〜49歳でも6.6とプラスを確保している。

民間企業の調査でも同様の傾向が出ており、ミドルの賃金増加と並行して転職は「35歳が限界」という見方も薄れている。

コロナ禍が個人の「仕事観」に与えた影響も見逃せない。転職サイト運営のエン・ジャパンはサイト利用者を対象にコロナと転職の関係に関する調査を実施。「コロナ禍を経験し、『企業選びの軸』は変わりましたか」との問いに33%が「変わった」と答えた。回答者が重視するのは「希望の働き方(テレワーク・副業)ができるか」(複数回答、51%)が「年収アップできるか」(23%)などを上回り最多だった。共働き世帯や女性などが「在宅でも仕事ができる」と気付き、より好条件を求める人が増えたとみられる。

こうした常識や仕事観の変化に加え、テクノロジーの進化も転職を後押しする。

「自己PR文の作成時間を大幅に削減できた」(20代女性)、「AI(人工知能)との対話で自分を客観的に分析できた」(40代女性)――。マイナビの調査によると、転職活動で3人に1人が「Chat(チャット)GPT」などの生成系AIを活用する。主な用途(複数回答)は「自己PRの作成」が33.4%で最も高く、「自分に合う仕事のマッチング」、(28.4%)「転職活動の仕方」(26.4%)などが上位に並ぶ。転職支援会社でもサービスにAIを取り入れる動きが広がる。

マイナビキャリアリサーチラボの関根貴広主任研究員は「AI活用が転職活動の効率化に寄与している」と指摘する。生成系AIを活用した人は活用しなかった人に比べ内定獲得率・社数ともに2倍以上高いとの結果も出たという。「自己PRの作成や面接に苦手意識を持っていた人たちの転職のハードルを下げている」(関根氏)と話す。

もっとも世界を見渡すと日本の転職率は高いとは言えない。労働政策研究・研修機構の「国際労働比較2023」によると、勤続年数10年未満の割合は日本の53%に対し、ドイツやフランスは約6割、米英は約7割、韓国は約8割を占める。インディード・ジャパン(東京・港)の国際比較調査では20〜50代の正社員で転職を経験した人の割合は日本が6割で米英は9割に達した。

転職の理由にも違いが見られる。同調査によると、日本は転職理由を「現状の職場に不満や嫌なことがある」とした回答が40.9%と調査対象の5カ国(日米英独韓)で最多だった。これに対し米国では「現状の仕事に大きな不満はないが、自分にとってプラスになる可能性がある」が5割を占めた。

雇用の流動性と労働者の生産性には相関があると指摘される。ただし流動性が高まっても「転職理由がネガティブな場合はスキルや生産性の向上に結びつきにくい」とピクテ・ジャパンの市川真一シニア・フェローは指摘する。

転職が「前提」の国々と比べるとリスキリングに対する意欲も低い。PwCの調査では、「テクノロジーの変化についていけるように絶えず新しいスキルを学んでいる」かという問いに「強く同意」した割合が日本は7%だった。南アフリカ49%、中国33%、米国26%などと比べて見劣りする。

労働移動を社会全体の生産性向上などプラスの効果につなげるには、転職のハードルを下げるだけでなく、目的意識やリスキリングの機会が重要になる。

政府は日本の競争力底上げに欠かせない「三位一体の労働市場改革」を進めている。その柱の一つが成長分野への円滑な労働移動だ。終身雇用や年功序列に代表される日本型雇用は労働移動を妨げる一因となってきた。生産年齢人口が減少傾向にある中、限りある労働力がより効率的に活用されることによって企業の生産性を高め、経済成長につなげる方向にカジを切る。
円滑な労働移動を実現するには会社と働き手がともに自立した「大人の関係」を築けるかがカギを握る。長期雇用を前提とする慣習が根強い日本でみられる、企業と社員がお互い甘えあうような構図からの脱却だ。
かつて企業は社員が辞めないことを前提に、転職しようとする人を「裏切り者」扱いする例も目立った。今では退職する社員と良好な関係を保ちながら、円滑に辞めてもらう「オフボーディング」と呼ばれる施策に乗り出す企業が増えてきた。卒業生・同窓生組織「アルムナイ」を構築する動きも盛んだ。企業と元社員を結ぶ「アルムナイ組織」の構築・運用サービスを手掛けるハッカズーク(東京・新宿)の鈴木仁志最高経営責任者(CEO)は「ここ3年で登録者数は20倍になった」と明かす。トヨタ自動車日揮ホールディングスなど大企業も目立つ。
こうした卒業生ネットワークを通じ「新たなビジネスや再入社につながるケースも増えている」(同)。リクルートが企業で働く人事担当者約5000人を対象に3月に実施した調査ではアルムナイのネットワークなどを使い再入社する「出戻り社員」を受け入れている企業は55.5%と過半を超えた。社員を粗雑に扱うような企業には口コミサイトに悪評が並び、人が集まらなくなって収益面でもマイナスになる。

一方で働き手にも主体的なキャリア形成が求められる。企業側と同じく、在職中や辞める際の行動が評判に跳ね返る時代となった。中途採用の際に転職希望者の働きぶりなどを前職の上司らに照会する「リファレンスチェック」が広がり、同サービスを展開するROXX(ロックス、東京・新宿)では19年10月の開始以来、累計の実施者が5万人を超えた。
ハッカズークの鈴木CEOは「退職する人の辞め方、辞められる企業の送り出し方の両方の意味で『辞め方改革』が求められる」と話す。その行き着く先にあるのが選び、選ばれるという「大人の関係」で、人材の流動性が高い米国企業などでは当たり前のように根付いているものだ。賃金上昇を伴い、働きがいも高まるような真の意味での円滑な労働移動を日本に定着させるためには、会社と個人、それぞれの意識と行動の変革が必要だろう。(日経電子版 参照)

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