TEL:0120-660-698
営業時間 9:00~17:30 平日
インドネシア視察日記 作:谷川 哲也
初めてのインドネシア。
今回は現地の教育機関や各大学の視察を中心に、ロンボク島→スラバヤ→ジャカルタの順に国内線の飛行機で移動する予定となっている。
関空から仁川に向かう空港内は春節の時期と重なっていたためか、出国審査の前で今まで見たことがない大行列ができていた。
フライト予定時間から遅れること30分、ようやく仁川に向けて飛行機が離陸した。
仁川まで2時間、あっという間に到着した。
そこから乗り継ぎの間の時間を空港内のテレビでやっていた女子フットサルの番組で時間を潰し、ジャカルタ行きの飛行機に乗り込んだ。
フライト時間は7時間20分。
今までベトナムで慣れていたせいかフライト時間の長さに少しうんざりしたが、その時間で読書と映画鑑賞ができたのは海外出張の醍醐味のひとつでもある。
そうこうしてるうちにジャカルタのスカルノハッタ国際空港に到着。
空港のイメージは他のアジアの国とあまり相違なく、インドのインディラガンディー国際空港のようなインパクトは無かった。
入国審査の手前で現地機関の方と合流、そこからアライバルビザの取得から裏ルートで並ぶこと無くあっさりと入国審査もパス。
さすが政府関係者とのパイプを持っているだけあると感じた。
まだ入国審査で並んでいる人たちを横目にスーツケースを回収して、空港入り口へ向かう。
外から見た空港は時間が夜でアングルがあまり良くなかったせいか、あまりパッとしない見栄えに映った。
そこから事前に現地機関の方からイルヴァンさんという方と合流して欲しいということで、彼が車で迎えに来てくれた。
日本語がとても上手で陽気なインドネシア人だった。
その時点で時間は現地時間の夜の10時ごろ。
そこから約20分離れたホテルに泊まることになっていたようで、小腹が減っていたこともあってホテルの1階で鶏肉料理とデザートをいただいた。
嬉しかったことにイスラムの国でもビールが飲めるとのことで、現地のビールであるビンタンビールを堪能した。
親不知を抜いた部分には少し刺激的だったが、鶏肉料理もケチャップマニスというインドネシア独特の香辛料で甘く味付けされていて、かつホロホロだったので全てひとりで完食した。
ビールも3本空けて、お腹が満たされたのと同時に眠気が襲いかかってきて、そのあと部屋に戻ってシャワーを浴びてすぐにベッドに倒れ込んだ。
2日目
イルヴァンさんとは朝5時30分にフロントで合流の約束をしていたので、せめて5時まで寝ようと思っていた矢先に4時30分に飛び起きた。
なにやら外から謎の音楽がかなりの音量で鳴り始めている。
少しして頭が冴えてきた時にイスラム教のお祈りの時間が朝の4時30分から始まる事を思い出した。
私も日本では毎日朝5時に起きているが、インドネシアの人の大半は4時30分より早く起きているため早起き国家といえるだろう。
お祈りは毎日5回、朝と昼と夕方あたりと夜とで各5分から10分ほど行うらしい。
お祈りができない時があればその分を違う時間のお祈りと併せて行うらしく、どうやら人によって考え方が違うらしい。
後で聞いたが現地機関の代表のヨヨックさんはお祈りの時間にお祈りをせずに、心の中でお祈りをした!という考え方のようで、同じイスラム教徒でも千差万別だと感じた。
イルヴァンさんの運転で国内線へ移動して、朝7時発のロンボク島行きの飛行機に搭乗。
予定どおり9時にロンボク島に到着した。
ロンボク島は「第2のバリ島」と呼ばれているらしく、空港内にも観光マップや写真スポットが存在していた。
迎えに来てくれていた現地のスタッフの方と合流してイルヴァンさんと一緒に車に乗り込み、ロンボク島の大学へ出発。
想像していた通りロンボク島は田んぼだらけで走っても走っても田んぼが続く。
トラックの荷台に人がたくさん乗って移動していたり、バイクに乗った人もいて、ベトナムと似たり寄ったりだと感じた。
ちなみに途中でコンビニに寄った際にイルヴァンさんが買ってくれた紅茶。
インドネシアではかなり人気の商品らしく、たしかに味もさっぱりしていて紅茶が苦手な私でも美味しくいただけた。
しばらくして大学に到着。
ここには現地機関代表のヨヨックさん、日本語教師の近藤夫妻がいるとのことで、案内されるがまま会議室の中へ。
そこには10名ほどの人が既にテーブルを囲って座っていて、いきなりインターンシップ制度の説明会に参加することになった。
まずは大学のPR動画を見せていただきベットメイキングや調理などの学科がある大学だと理解した。
ヨヨックさんや近藤先生がインターンシップの説明をし、大学の各学部の学部長たちが質問を投げかけてくる構図で説明会は進み、学長不在の中だったがどうやら前向きなかたちで終わったようだ。
挨拶を済ませて昼食会場のレストランへ移動。
そのレストランでは午後から向かう大学の学部長たちと合流して一緒に昼ごはんを食べる予定になっているらしく、レストランに到着したら人が次々に集まってきて総勢20名以上の集まりになった。
この昼食がインドネシア料理を初めてまともに食べる機会だったが、前日の鶏肉料理の甘さを基準に鶏肉にかぶりついた途端に強烈な刺激を感じた。
辛いのは辛いが思っている辛いの1.5倍は辛い。
口直しのつもりで飲んだスープも辛いし、とにかく辛くないナシゴレンと卵焼きを食べた。
よくよく聞くとロンボク島のロンボクは唐辛子という意味らしく、唐辛子が名産のこの地方の料理は比較的辛いんだとか。
やけに府に落ちたところで大学に向かうことに。
次に向かった大学はかなり大きな大学で、生徒数は30,000人いるらしい。
大会議場のようなところでインターンシップの説明会が始まった。
ここでは学長含めて学校関係者が全部で20名以上参加され、熱心にこちらの説明に耳を傾けていました。
今まで海外へのインターンシップをした経験が無かった様子で、私自身も質問に回答させていただきながら会議は進行していき、結果的にこの大学もMOUを締結予定となった。
ロンボク島の内情は島民300万人の中で、大学を出ても現地での産業が乏しく仕事が無い状況らしく、インドネシア政府としても海外へのインターンシップを推進していく働きかけがあるので、こういった話は渡りに船らしい。
課題は山積みではあるが、この人材を日本の企業へどうやって受け入れていただけるか?この部分をクリアできれば世界的な人材のキャリアの可能性を広げることができるようになると感じているし、私がやりたいことはこれだ。
その後食品加工に関わる学科と機械工学の学科の見学をさせていただき、挨拶の後にホテルへ向かった。
ホテルで小休止を兼ねて備忘録を書いていたが、少し眠気が来たので仮眠を取った。
確かに前日の睡眠時間が取れていなかったので、これで体調は万全。
夜ご飯は海の近くのレストランでいただくことになったが、ここでもビンタンビールが飲めることに。
どうやらお酒があるレストランを選んでくれたようだ。
ここでは欧米人が多く、やはりビールを飲める店を探して来たのだと感じた。
昼ごはんと同じような料理が並ぶ中、とびきり美味しかったのがサテというインドネシア料理だった。
日本でいう焼き鳥にあたるがタレや塩の味付けでは無く、甘くて少しスパイシーなタレで味付けされていてビールに合う!
ファスティング後の食事で一番美味しいと感じたのは、私が根っからの飲んべえという証拠でもある。
食事後、ホテルに戻るとすでにシャワーを浴びていたこともあって、ベッドに飛び込んで眠りについた。
3日目
また朝の4時30分からあの音楽が鳴り始め、インドネシア3日目が始まった。
少し疲れがあったが快眠できたのか、頭はかなりすっきりしていたので、この旅日記をつけることにした。
朝ごはんは基本食べないので、集合時間の8時15分にみんなとロビーで合流して、ロンボク島の看護大学へ出発。
看護大学では看護学科の授業見学や生徒さん達への挨拶をさせていただいたが、ベトナムでも毎度この挨拶で緊張するのはご愛嬌。
最初に見学した大学1年生の教室では自己紹介をさせていただき、生徒のみなさんに「日本の料理を知っていますか?」と質問をしたところそこら中から「スシ!」「ラーメン!」と元気良く答えていただいた。
次に生徒からの質問に答えようとしていたら、日本のことへの質問ではなく私へ「結婚していますか?」との質問をされたが、今年で結婚15年目を迎える立派な既婚者の私なので、もちろんしていますと回答。
看護学科ということもあり生徒のみなさんの大半は女性でしたが、なぜかガッカリしたリアクションが返ってきてリアクションに困ってしまい苦笑い。
後でイルヴァンさんにも「結婚してて残念ね!若くてかわいい人と結婚できるよ!」とからかわれたが、どうやら37才の私は27才と10才若く見られていたそうで、インドネシアのことが更に好きになってしまった今日この頃。
その後も授業で使う器具や介護器具、実習で使うベッドや車椅子などを見させていただいた。
この大学では一回生で栄養学の基礎などを学び、看護や介護に関する知識を深めていくそうだ。
最後に学長や副学長とインターンシップや授業内容について話し合い、この大学を後にした。
ロンボク島での大学訪問が終わったのでスラバヤに飛行機で移動。
ここで初日から帯同してくださったイルヴァンさんとお別れだったが、最終日もお会いできるとわかったので再会を約束して握手。
そして空港で少し休憩で美味しいジュースをいただいた。
ロンボク島からスラバヤまでは約1時間ほどで到着した。
スラバヤは暑い!
到着時の気温は34度で日本の夏のようなむしっとした気候だった。
車でサハバットさんの教育施設の近くにあるレストランに移動。
このレストランは西ジャワ風のロケーションとジャワ料理を売りにしているそうで、水の上に立てられた竹や藁で作られた小屋のような所で食事を楽しめる。
ロンボク島の料理はかなり辛かったが、ここの料理の辛さはまだマシだったので美味しく食べられ、また人生初の鶏の丸揚げを頭から食べることができた。
このおかげかこれ以降お腹の調子が急に悪くなったが、これも海外あるあるのひとつだと思う。
食事後、サハバットさんの教育施設に移動。
ここでも授業見学をさせていただいたが、驚きの連続だった。
なにせ日本語教育2ヶ月目にしてN4相当の能力を全員持っていて、かつ日本語のイントネーションがとてもキレイだったことに本当に驚いた!
今までベトナム人の日本語に慣れていたこともあったが、インドネシア語は会話の抑揚があまり無いので日本語のイントネーションが上手で聞きやすいこと、また多言語国家のため公用語のインドネシア語以外でもそれぞれの地域の言葉を習得している背景があるので、語学習得能力がかなり高いことがわかった。
宿泊や介護などコミュニケーションが必須な仕事には最適な人材であり、製造業でも欲しがられるような人材の宝庫だと感じた。
インドネシア人は朝も早く規則正しい生活をおくるため、言われたことを実行する能力と根気強さ、そして忍耐力と継続力を持ち合わせているので、工場や再現性のある作業を得意としていると思う。
イスラム教のお祈りを行っているところも見学させていただき、その後会議室にてサハバットさんとインターンシップについてミーティングを行った。
しっかりと仕事をした後、本日の夜ご飯は日本食レストランに行くことに決まった。
やっぱり刺身は美味しいしヘルシーだと思った。
インドネシア人は甘いものが大好きなので、ほぼ全ての料理に砂糖をこれでもかというくらい入れるので、糖尿病患者がとても多く平均寿命も60歳の国である。
美味しくお食事をいただいて、ホテルに戻り1日を終えた。
4日目
またいつものあの音楽とともに起床。
天気は来てからずっと雨がしとしと降ったり止んだりの繰り返しで、インドネシアは11月から4月までが雨季で5月から10月までが乾季だとか。
今は湿度が80%以上あるが、乾季は湿度も低くなりカラッとした暑さに変わるらしいので、次回は是非乾季の時期に来てみたいと思う。
ホテルを後にしてスラバヤ国立大学へ車で向かう。
スラバヤ国立大学はインドネシア第2の都市スラバヤの中でも名門大学で、大学名を略してUNESAとも呼ぶらしい。
9時過ぎに大学について3階の大ホールへ。
既にインターンシッププログラムの説明会の参加者が30名ほど椅子に座っているのを横目に、副学長や大学関係者へ挨拶を済ませてヨヨックさんと説明会の打ち合わせ。
壇上前に設置された物々しい席のしかも副学長の横に座り、司会役の人が話し始めた。
その間もぞろぞろと人が入ってきて、なんだかんだと60名から70名ほどが席に座った。
ベトナムで初めて知ったインターンシップだったが、あの時からやりたかったことが今日叶う。
それは大学生の前でインターンシッププログラムの説明会を行い日本でインターンシップをしたいという生徒と質疑応答をすること。
そして世界の若者が自分のキャリアに責任を持ち自身の可能性を最大限に発揮できるステージに立って自己実現を叶えるためのチャンスを掴んでもらうこと。
そしてその先にある輝く笑顔を作ること。
それが私のこの仕事をしている意味と意義であり、私の自己実現でもある。
インドネシア人で日本に3ヶ月間インターンシップに行った生徒のプレゼンが始まっているが、どうやらインターンシップはお金のために行くのでは無く自分の経験やスキルアップのために行くもので、遊び半分の気持ちで行くとそれは大変間違った考えであり本気で仕事と日本語の勉強をする必要がある、ということを熱心に伝えてくれているようだ。
彼の持ち時間は知らないが熱弁をふるっていると時間はかかるもので、質疑応答も含めると軽く1時間を越えている。
生徒達も段々集中力が無くなってきているのが見てわかるが、そうこうしてるうちに主催側から促される形で私にバトンタッチ。
少しだけ覚えたインドネシア語で自己紹介をしてみたがちゃんと伝わったようで、私の横に座っている近藤先生も私の挨拶にびっくりしていた。
スラマッパギー→おはようございます
ケナルカン→自己紹介する前の枕詞
ナマサヤ タニガワ→私の名前は谷川です
テリマカシー→よろしくお願いします
インドネシア語は抑揚も無くアルファベット読みで通じるのでありがたい。
ちなみにテリマカシーは「ありがとう」という意味もあるので会話の中でかなり使う言葉である。
インターンシッププログラムの説明をなるべく時間をかけずにそつなくこなして質疑応答へ。
そこから10人以上の生徒から質問があったが、質問内容がしっかりと考えられた質問がほとんどでインターンシップへの意欲の現れだと感じた。
その中でもある女性生徒からの質問で興味深かったのが、インターンシップや特定技能などで日本で働く際にその会社で働いている日本人と結婚してもいいか?という質問だった。
答えはもちろん恋愛は自由なのでOKだが、受け入れ企業さんに迷惑にならないようにだけ釘を刺しておいた。
余談だがインドネシアは国民の9割がイスラム教であり、他にもヒンドゥー教やキリスト教、仏教に儒教まで宗教が複数ある国であり、その理由はこの国では必ず何かしらの宗教に属さなければならないという法律があるからである。
その女性もヒジャブを付けていてイスラム教の方だったので結婚の質問をしたのかと思うと、結婚相手もイスラム教に入る必要があるのでそのあたりも関係してるのかとふと考えた。
説明会が無事終わって学校の2階にある会議室でお昼ごはんの弁当を食べたが、これもまた辛い!
日本だと弁当のチキンにこんな辛い味付けしない方が美味しいと思うが、こちらだとこれが美味しいらしい。
私はお米もあまり食べないがインドネシアは米が主食であり、本当に米をたくさん食べる。
辛すぎて弁当の半分を残し、次はIT学科のエンジニアの卵達との面談が始まった。
今回インターンシッププログラムの説明会に参加された中でIT学科の生徒は15人。
それぞれの自己紹介と得意な言語や将来の夢を聞いたが、率直に思ったのが優秀さと学生らしい考えどちらも持っている、ということだ。
私から見て良いと思った人材は3名だったので、インターンシップを希望する生徒の見極めは必須だと感じた。
その後本当は見学したかった機械工学の学科が先生不在のため見られず、スラバヤのジュアンダ国際空港へ車で移動。
途中、インドネシアで初めて電車を見たのでパシャリ。
30分ほど飛行機が遅延していたが、ジャカルタのスカルノハッタ国際空港へ飛んだ。
到着時点で夜の19時。
お昼ごはんをあまり食べていなかったせいで空腹だったが、世界でも五本の指に入る渋滞で有名なジャカルタ!
空港からブロックMに向かう高速を降りたら案の定大渋滞に巻き込まれた。
アジアでよく見られる車線が有ってないような車線変更を繰り返す車の中、ベトナムと違うのはあまりクラクションを鳴らさないところか。
静かに着実に前に進んでいき、空港から約1時間ほどでブロックMの中にあるホテルに到着した。
ホテルに荷物を置き、すぐに近くの日本食レストランへ。
さすがインドネシアの日本人街だけあって、日本人のお客さんがほぼほぼでもちろん会話も日本語なので、これはインドネシアだけに限らないが少し落ち着くのはありがたい。
食事も美味しかったが、ラストオーダーの時にまだ小腹が減っていたので頼んだ野菜炒めが、予想外に大盛の野菜炒めだったのに驚いたのと、半分だけしか食べれなくて本当にごめんなさい。
満腹になったのでホテルに戻る途中、ヨヨックさんからカラオケのお誘いを受けたが明日も朝早いので断ったが、ホテルに戻ってからも後ろ髪を引かれていたのはここだけの秘密である。
5日目 最終日
とうとう帰国する日がやってきた。
お決まりの時間にお決まりの音楽が鳴ると思いきや、ブロックMの場所だからか鳴っていないことに気付いたが、もう起きてしまっていたので二度寝することにした。
日曜日にインドネシアに来て5日間経ったが、やはり疲れが溜まっていると感じる。
最終日にようやく気づいたがホテルの部屋の天井に必ずマークがあって、このホテルではそのマークが矢印でメッカの方向を指しているらしい。
8時30分にロビーで待ち合わせをしてタクシーに乗ってラボマーケットセンター、日本でいうところのハローワークに向かう。
この写真ではわかりにくいが、朝のジャカルタの渋滞は凄まじいものがあって壮観でもある。
ラボマーケットセンターは労働局の管轄で最近できたような新しい施設だった、というより日本のハローワークではあり得ないような近代的なデザインの施設で驚いた!
セキュリティカードが無いと上がれないエレベーターに乗って案内されるがまま着いていくと、またまたお洒落な広いスペースに通された。
そこでラボマーケットセンターの職員さん達とお会いしたのだが、最初は現場の責任者のシギさんという方だけだったが、あれよあれよと人が増えて10名ほどで打ち合わせに参加されていた。
途中、センター長にお会いできることになって室長室へ。
このセンターの責任者であるユスフさん。
とても気さくに話しかけていただいたが、この方はインドネシア全てのラボマーケットセンターのトップであり、インドネシア中の大学とも連携している組織長でもあるので、要するにとても偉い人だそうだ。
ユスフさんとシギさんとの話の中で、インドネシアのラボマーケットセンターが作っているWebサイトを紹介していただいたが、これがまた秀逸なサイトだった。
昨年の12月に日本の東京のハローワークに研修に行って、その内容をブラッシュアップしながらサイト作成をしているとのことだが、明らかにこちらのサイトの方が精錬されていて、且つインドネシア国内だけでは無く国外の求人も掲載できるように作られていた。
国外用のページはまだ運用していない状態だったが、準備が整い次第で日本の求人も掲載していくそうだ。
これは未だにブローカービジネスが旺盛なベトナムではあり得ない仕組みだと感じた。
インドネシアという国はブローカーはほとんど存在せず、また送り出し機関も人材からの手数料はベトナムよりもはるかに少ない額しか取らないらしい。
もちろん中にはぼったくりのような機関もあるだろうが、こうした行政の機関が積極的に求人情報を無料で提供することで、そういった機関やブローカーは通用しない状況になっていると感じる。
その点はベトナムと大いに違う構造だと思う。
ユスフさんよりスカイネットから求人情報を貰えば、インドネシア中の大学や卒業した人材からマッチする人を紹介します、とかなり力強いお言葉をいただいた。
これはもしかするとかなりのジョーカーを手に入れたような気がするが、まずは求人をいただける仕組みを作ることが重要だと感じた。
ラボマーケットセンターを後にして高速道路のサービスエリアでお昼ごはん。
どこかの地域の料理らしいが忘れてしまったが、食べた分だけ請求されるシステムらしい。
お約束だろうなと思いながら料理をいただいたが、やはりインドネシア料理はどの地域とか関係なく辛い。
そこそこだけいただいて食事を終わらせた。
次に向かったのは工業大学で、目的は「どれくらいのスキルが身に付く教育を行っているのか?」を知るために訪問。
ここでわかったことが、ベトナムではある程度のレベルの大学だとNC旋盤やマシニングセンタがあって当然だが、インドネシアでは工科大学レベルじゃないと大学に設備が無いという事実だった。
ではどうやってNCやCNCの勉強を行うかというと、そういった設備がある国の施設で学ぶか製造業の工場で研修させていただいて学ぶらしく、三年制の大学では座学が3割と実技が7割、四年制の大学では逆に座学が6割と実技が4割との比率で学ぶらしく、簡潔にいうと三年制は現場で四年制はマネジメントを志す人材が多いとのこと。
インドネシアでエンジニアを募集するとなると、三年制の大学卒で日系企業で働いているエンジニアを探すことが必須だと感じた。
またIT人材もインドネシアにはたくさんいるので、IT関係の人材紹介やインターンシップも進めていこうと思った。
最後に大学の学長に挨拶させていただくと、なんと東海大学で研究員として学んでいたらしく、日本語も話せる学長さんで驚いた。
今でも日本には行くことがあるらしく、予定していた時間を過ぎて話し込んでしまった。
これで視察は全て終了。
ヨヨックさんの提案でマッサージに向かうことに。
ベトナム以来のマッサージでとても気持ちよく、今までの中でもかなり良いマッサージだった。
シャワーも浴びれたことでリフレッシュでき、最後の食事で丸亀うどんをかきこんだ後に飛行機に乗り込んだところで、インドネシアの視察は終了。
旅日記をこれにて終了としたいと思う。